僕らは心の手を繋ぎながら生きてるんだ

気持ちに素直に。心を言葉に。

まずは自己紹介から

初めまして。 KAT-TUNのファン、hyphen、かめ担のみぃちゃと申します。上田くんも、中丸くんも大好きです。

興味はないかもしれませんが、担歴やKAT-TUNに落ちた経緯などをお話しさせていただこうかと思います。

 

私が初めてKAT-TUNを知ったのは遡ること13年前、とんでもないインパクトを残したごくせんの頃です。

ごくせんを見たきっかけなどは覚えていません。

とにかく、クラス中、学校中、みんながごくせんを見ていました。「隼人派?竜派?」「仁派?亀派?」毎日のように聞かれた会話です。

当時の私は隼人派で、毎回カッコいい!!と目をキラキラさせながら見ていました。

 

街を歩けばそこら中に隼人くんがいて、ドキドキと、ときめきながら初めて買ったアイドル誌は明星です。(2005年4月号)

当時中学生になったばかりの私にとって、アイドルの脇毛は見ちゃいけないような、なんとも言えないドキドキ感があったこと、書いてるうちに思い出しました。仁亀のピンナップでセクシーなのがあったような…。

そしてanegoが放送開始されました。当時中学生。anegoとの一夜明けたシーンは「あ。これ大人しか見ちゃいけないやつだ!!」と純粋に思ったし、恥ずかしかったの覚えています。

 

あの頃はKAT-TUNのCMも番組もどんどん増えていきました。録画環境のなかった私は母の知人にミンテレの初回録画してもらいました。VHSだからもう見られないかも。懐かしいです。

 

当時仁担だった私も、野ブタ。はもちろん、見ていました!純粋だった私はエンディングのブタさんのムービーで毎度涙目でした。

 

2006年春、KAT-TUNを好きになって1年。ようやくKAT-TUNがデビューします。

テレビから、有線からReal Faceがバンバン流れてくる。それがすっごく嬉しかった。

当時のWSのインタビューで、仁くんが舌打ち恥ずかしかったって言ってたような記憶があります。記憶違いだったらすみません。

 

しかし、私は所詮ミーハーなお茶の間ファンでしかありませんでした。デビューしてしばらくしてから、私はファンではなくなっていました。

離れたきっかけ、曖昧ながら覚えているのは、仁くんが留学で離れてしまう事と、それでも好きかどうか聞かれたりすることが多かったこと。それが嫌になってしまった原因だと思います。

KAT-TUNを嫌だとすら思ってた気がします。今ではなんでそんなことを思ったのか、と思いますが、幼く、ミーハーでしかなく、しかも当時の担当を失った私には、離れるしかなかったのだと思います。

ここまでが私のKAT-TUNファン第1章です。

 

 

第2章はある日突然、なんの前触れもなく訪れたのです。

それは2015年7月4日。

私は当時、普段あまりテレビを見ていませんでした。新聞のテレビ欄すら見ないので、気になった番組だけ見る、なんてこともなかったのです。

しかし、その日はたまたま気まぐれにテレビをつけていました。

そこに写っていたのはKAT-TUNMUSIC DAYに出演していたのです。

その時私は直感で「見たい!!」と思いました。普段なら気にしないテレビもその時は懐かしさからか「見よう!見なきゃ!」と思ったのです。

KAT-TUNのパフォーマンスは素晴らしいものでした。

Keep the faithを歌いながら歩くKAT-TUN。幻想的なライトに照らされながらKISS KISS KISSを歌い腰を振るKAT-TUN。ものすごい色気と格好良さでテレビに釘付けになりました。

KAT-TUNの出番が終わり、私はすぐさまツイッターKAT-TUNを検索しました。

すると先程テレビで見た見惚れてた映像や、それに対する感想がずらりと並んでいました。

KAT-TUNすごいな、かっこいいなと心から思い、強く惹かれました。

そこからYouTubeで毎日KAT-TUNの動画を漁り、レンタルショップにcome Hereを借りに行きました。

MUSIC DAYを見てから1週間足らずで、私はcome HereのライブDVD初回限定2を購入していました。

ものすごい勢いでKAT-TUNにはまっていったのです。

quarterの発売発表の頃には完全に堕ちており、その日のうちに購入予約をしました。

順調にhyphenへの道を辿っていましたが、どうせライブには行けないだろうと、ファンクラブ入会はしておりませんでした。

 

しかし、全hyphenが震えたあの赤コート事件が起こります。

そう、田口くんがベストアーティストでKAT-TUN脱退を発表したのです。

私は明日から崩れ落ちました。涙が枯れるほど泣き、翌日が休みだったこともあり、お酒を飲んだことを覚えています。

辛い記憶ですが、それをきっかけに私はファンクラブに入りました。

KAT-TUNを無くしたくなかったのです。ライブに行けるかどうかじゃない。KAT-TUNをただただ守りたかった。存続要望のハガキもたくさん書いたことを覚えています。

 

そしてKAT-TUNが存続しました。10周年のアニバーサリーです。

私は、頑張ってライブに行くことにしました。

私の初ライブは10Ks名古屋公演です。名古屋はKAT-TUNに初めて会えた、思い出の土地です。

初めてKAT-TUNを見た瞬間は感動しました。

 

その年、KAT-TUNは充電期間に入り、私は転職しました。以前の職場よりも、遠征しやすく、休みも増え、収入も上がり、私はしっかりhyphenライフを楽しめるようになったのです。

 

充電期間中にはセカロマ、Follow me大分、福岡26日両部に行くことが出来ました。残念ながら中丸くんのソロ舞台には行けませんでしたが、フォロワーさんにグッズを送って頂きました。

 

そして今年。1月1日、ついにKAT-TUN再始動!

そして4月。東京ドーム3days!UNION!

私は縁もあり、全ステすることが叶いました。

そしてCAST。福岡5日、名古屋30日両部、横アリ17日参戦いたしました。

 

今ではすっかりKAT-TUNがそばにある生活になり、CDも予約購入、ドラマも欠かさず見る、新たな露出は要チェック、毎日KAT-TUNを聞く、見る、そういった完全hyphenライフを送っております。

長々とまとまりないですが、こういった具合に私はhyphenになりました。

まだまだ、hyphenとしては未熟者ですが、参戦した感想、曲の感想、ドラマの感想、遠征の思い出などを書き連ねていこうと思います。

興味があったら、時々覗いてくださると嬉しいです。

ここまで読んで下さり、ありがとうございました。